日光寺略歴
当山は照谷山日光寺と号す。文禄四乙未年の開創にして、華蔭卓存首座、荻野家の元祖春悦静栄庵主の寄進により、梶原村東山にありし行基菩薩の作なりと伝う薬師如来の尊像を現在の地に奉祠す。
卓存首座、圓通寺第二十一世水岸存吸禅師を請じて開祖とす。
当山二世道明俊弉禅師の高弟、大休慧洪和尚住職となり寺門大いに完備し法地開を企図せしも果さず示寂せり依って之を中興とす。
当山四世慧然義性和尚、慧洪和尚の遺志をつぎて大いに門風を挙揚し、檀信徒又協力して銀百枚を圓通寺に献金し、元文二年十二月大念俊明禅師より法地免状を受く。その後火災にかかり堂塔伽藍悉く烏有に帰す。
宝暦八年第六世祥巌千禎和尚伽藍の再建を企てしも、不幸中途にして示寂す。
明和七年第七世鳳山天瑞和尚、祥巌千禎和尚の業を継続し、同年三月二十六日上棟式を挙行せり。
明治十四年第十八世純翁一如和尚、師の志をつぎ庫裡を改造再建せり。猶一如和尚力を寺門の興隆に致し、四年間苦心奔走の結果、明治三十六年七月国有林下戻の件を成功せり。
平成九年四月現在の庫裡に新築され、平成二十五年本堂大屋根の葺き替えがなされる。
わたしたちの宗旨
伝統
曹洞宗はお釈迦さまより歴代の祖師がたによって相続されてきた正伝の仏法です。
日本開宗
曹洞宗は今から八百年ほど前、鎌倉時代に高祖道元禅師さまが我が国に伝えて、ゆるぎなき基礎をきずかれ、四代目の太祖瑩山禅師さまが一層盛んになさいました。このお二方を両祖大師と申し上げます。
大本山
福井県の大本山永平寺(高祖道元禅師さま御開山)
横浜市の大本山總持寺(太祖瑩山禅師さま御開山)
本尊
曹洞宗はお釈迦さまをご本尊として仰ぎます。
本尊唱名
南無釈迦牟尼仏。
教義
わたしたちはみな仏の子であり、生まれながらに仏心を具えています。しかし、それに気づかずに我がまま勝手の生活をして苦しみ悩みのもとをつくっています。
ひとたび仏さまに懺悔し帰依するならば、心が落ち着いておのずから生活が調えられて明るくなり社会のお役に立つことを喜び、又、どんな苦難にも耐えて生き抜こうとする信念が生まれます。そこに生きがいと幸福とを発見するのが曹洞宗の教えであります。
お経
修証義、般若心経、観音経、寿量品等の諸経典を読誦します。
日光寺草創
氷上郡西国霊場 第二十九番
照谷山 日光寺
ご本尊 釈迦如来
兵庫県丹波市市島町梶原1451-1
℡0795-85-2469
今ここに おろがむ吾も佛也 生きてすくわる 命うれしも (氷上郡西国御詠歌)
当山祭祀の薬師如来の縁起によると、行基菩薩諸国修行のみぎり、この地を照谷と名づけ薬師尊像を祀るとあり、諸病平癒の霊験あらたかに、毎歳七月十二日大祭あり。
丹波誌に文禄四年(1596年)三月、春悦静永開基後天正年間兵火にかかるとある。
今の本堂は、明和七年(1771年)七世天瑞代再建す。
現住職 第二十一世 芦田一元師
愛宕神社略縁起
戦国時代この地には、旗山砦の一屯所とみられる建造物があったが、宝永六(1709)年その跡地に社殿が造られ、京都清滝の愛宕神社が勧請された。明治三年神仏分離令が出るまでの御神号は、愛宕大権現だったが、それ以降愛宕大明神となり、御神体も神鏡となった。以前は、いわゆる勝軍地蔵様で、兜鎧を着用し錫杖を突いて馬にまたがった姿の御神体だったが、今では内陣にその面影が残されているばかりである。
明治八年社殿は一度改築縮小され、現在の規模となったが、なおその際、秋葉大権現の遙拝所が北側空き地に造られた。さらに、折から発展途上の時代産業であった養蚕業守護の神霊として、伏見稲荷をも合祀されらことが伺える。
当社の本願とするところは、日光寺ならびに檀信徒一統の防災鎮守を祈念するところである。
日光寺裏山山頂に鎮守の愛宕神社は、由良末蔵氏改築御寄進によるものである。
年祭:八月二十四日